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1970年代のクリーニング屋さん [昔の記憶]

実は、母方の実家がクリーニング屋さんだったりする。
小学5年まで、そこの2階に、うちの一家は住んでいた。

クリーニング屋さんにやってきた洗濯物。
伝票を書いた後、最初に行われるのは、名前付け。
当時は、今みたいに番号をホッチキスで止めるなんてことはせずに、
赤い糸で、名前をカタカナで、縫いつけていた。
カタカナのほうが、直線で形成されている文字が多いから、
糸で名前をつけるのには、容易かったからかな。
集配で集めたものではなく、「持ち込み」のものは、
名前の前に、「モ」と縫いつけてあった。
それから、確か、例えば「ニシハマ」だったら、「ニーハマ」というように、
略されていたような。もちろん、濁点なんかは、省いていたような。

受け付けたものは、ドライものと水洗いものに分けて、バスケに入れて、次の段階へ。
(バスケは、バスケットのこと。私が幼稚園ぐらいの頃は、竹製だったような。
 その後、記憶に残っているのは、青いプラスチック製だった)

次の段階は、ポケット掃除。小銭やライターなんかが、よく入っていたなぁ。
水洗いのものは、今、流行のドラム式の洗濯機で洗っていた。
当然、ボイラーで湧かしたお湯を使って。
もっとも、家庭用のものではないから、直径1m、高さ1.5mの円柱を横にした
ぐらいの大きさのものだった。
小さい頃、かくれんぼしたことがあったような。(^_^)

洗い、すすぎ終わったものは、脱水機へ。
これも、直径1mぐらいで、高さ60センチぐらいのもの。
ブレーキが手動だった。横にレバーがついていて、それを引くと、
ブレーキがかかるようになっていた。

脱水が終われば、物干し場へ持っていって乾かして、最後にアイロン。
確か、アイロン台のことを火熨斗場(ひのしば)と呼んでいたなぁ。
ここにも、小さなボイラーがあって、そのボイラーに水を入れるのを
お手伝いしていた記憶がある。
クリーニング師の免許で、ワイシャツをアイロンだけで仕上げるというのが
あるけれど、私の小さい頃は、ワイシャツ専用のプレス機はなかったから、
みんなアイロンだけで仕上げていたなぁ。

できあがった洗濯物は、透明な袋に入れて、できあがり。

なにしろ、子どもだったから、全行程を知っている訳ではないけれど、
汚れたものが、いっしょくたになって、洗われて、きれいになっていくのは、
見ていて、気持ちが良かった。

母親の実家のクリーニング屋さんは、祖父が主人で、おじさんが手伝い、
見習い職人さんが住み込みで2人、通いの人が時々1人。
そして、昭和45年頃からは、母親もワイシャツのプレス機担当で手伝っていた。
確か、祖父は、後継者を育成したとかで、県から表彰状をもらってたなぁ。

そのクリーニング屋も、阪神大震災で木造の建物が全壊してしまった。
その後、建て替えて、細々とおじさんがやっているけれど、
私の成長にあわせて刻んであった「柱の傷」もなくなったし、なんか寂しいものでありまする。

新しい洗濯機を買って、ふと思い出したことでした。


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