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蒸気機関車 [昔の記憶]

TVを見ていたら、蒸気機関車の映像が流れてきた。
なんだか、懐かしいなぁ。

一番昔の記憶は、小学生の頃、現在の神戸線、灘駅付近で、叔父に連れられて、
写真を写しに行った時。
蒸気機関車は、もっと、ゆっくり走るモノだと思っていた当時の私が写した写真に写っていたのは、
煙だけだった。

一番、最近の記憶は、松本市に住んでいた時、仕事で諏訪市にでかけた時。
国道20号線を走っていたら、なぜか、渋滞。
たまたま、線路を走る列車が見えるところに止まっていたら、汽笛が。
これは、松本駅で聞こえる汽笛の音ではないと思ったら、本物が走ってきた。
お〜っ。
車が動き出して、線路の方を見ると、係の方が、一定間隔で線路脇に立っていた。
たぶん、写真撮影する人の整理?

あれ以来、見ていないなぁ。

ブラインドタッチを覚えたのは LETTERA 35 [昔の記憶]

社会人になってから、覚えた当時は役立たないかなぁと思っていたけれど、
本当に役立っていると思えるもののひとつがブラインドタッチ。

高校生だったある時、どうしてもタイプライターが欲しくなったのでした。
でも、当時の文房具店や百貨店で見るタイプライターは、かっこよくなかった。
たまたま、見つけたのが、オリベッティのLETTERA 35という機種。
lettera35m.jpg
オフホワイトの曲線ボディ、白色のキー。
バックワードキーだったかだけが、赤のキー。
デザインは、マリオベリーニ。
そう言えば、ヤマハのHP-2というヘッドホンを持っていたけれど、
それも、マリオベリーニのデザインだった。

このタイプライターで、英語の歌の歌詞をレコードの歌詞カードを見ながら、打ってたなぁ。
最初は、aを打っても、他の文字の半分ぐらいの濃さだったりしてたような。

就職してから、数年間は持っていたけれど、リサイクル屋さんに売った記憶が。
持っておけば良かったかなぁ。
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母親の言葉「雨に濡れたら、なめくじに、塩かけたみたいに、縮むんかいな。」 [昔の記憶]

既に、両親、祖父母ともに、この世にいないけれど、
時々、思い出す母親の言葉がある。

小学校低学年の頃、雨が降って、
「学校に行きたないなぁ。休みたいなぁ。」と言っていたら、
「雨に濡れたら、なめくじに、塩かけたみたいに、縮むんかいな。」

「ぼくは、なめくじちゃうし、雨に濡れても、なめくじみたいに、縮んでしまわへん。」
何も反論することもできずに、学校に行ったのでした。

子どもの頃の私にとっては、効果てきめんの言葉でした。

だいたい、子どもって、あることに集中してしまう傾向がある。
「あれ、買(こ)うて〜。」
こうなった時に、その話題から、突拍子もない話にもっていくと、
今まで、泣き叫んでいたのが、コロッと笑い顔になってしまうことがある。
多分、この言葉は、そういうのを、体験的に知っていたと思う
未だにすごいと思う「母親の言葉」だったのかなぁ。

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長野県の特急 [昔の記憶]

なにやら、松本区検の副検事さんが、特急を止めたというのがニュースになっているけれど、
松本に住んでいた頃、東京に出張し、午後9時発の”あずさ”で帰ってきた時など、
松本到着10分遅れ、15分遅れというのが、半ば、常識だったことを思い出した。

午後9時に新宿駅出発。
八王子までの間で、先行の特別快速がゆっくり走るのか、乗降に時間がかかるのか、
少々、ゆっくり気味。

携帯の電波が届かない区間を通過した頃から、山間を走る。
冬など、山梨県内に入った頃から、雪景色。
甲府駅で、半分ほどの乗客が降りる。
韮崎、小淵沢駅あたりに止まった頃から、完璧にローカルの普通列車の感じ。
新たに乗る乗客は、ほとんどなし。
もう少し、早い時間帯なら、先行の各駅停車の列車が、高校生を乗せるために遅れるのか、
遅れが目立つ。
時々、止まった駅で反対の上りを見ると、貨物列車、だいたいタンク車。
ガソリンや軽油、長野県に持っていくのには、他にないもんなぁ。

で、長野県内に入ると、ほとんど、各駅停車。塩尻を過ぎてから、特急に戻る感じ。
もう1車両に10人以下。
で、「松本駅到着、○時○分の予定です。乗客の皆様にはご迷惑を・・・」というような
アナウンスが聞こえて、松本、到着。
ホームに降りると「まつもと〜〜〜、まつもと〜〜。」
だいたい、冬場になると、15分ぐらい遅れていたような。
今もそうなのかなぁ。

冒頭のニュースを見て、1分の遅れか、と思いながら、思い出してしまった。


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幼稚園から高校卒業までの担任の先生の名前、覚えてへんもんやなぁ。 [昔の記憶]

ふと、幼稚園から高校卒業までの担任の先生の名前を全て、覚えとるかなぁと
思い出してみた。

幼稚園:湯浅先生
小学校1年2組:種稲先生
   2年2組:和田先生
   3年7組:岡井幸子先生
   4年2組:御手洗あきら先生(漢字が思い出せない)
   5年7組:田中良明先生
   6年5組:  〃
中学校1年2組:樽谷先生 3学期が終わった時、結婚して名字が変わったような。
   2年2組:大垣先生
   3年2組:新井令子先生
高校 1年  :亀井先生
   2年  :組も思い出せない。先生の名前も。確か、体育の先生やったような。
   3年7組:新居先生。
やはり、卒業から30年以上経過すると、思い出せへんもんかなぁ。

先生との触れあい?で、まず、思い出されるのは、小学校2年生の時のこと。
昼休みだったかに、校庭で、砲丸投げの時、投げる前にぐるぐる回る、
その時のように、ぐるぐると回してもらったような。
そして、中学3年生の時、クラスで、ガスコンロを持ってきて、
インスタントラーメンを作った奴がいて、それを知った先生が、昼休みに
教室に戻ってきて、クラス全員を前にして、「君たち、何をやっているんだ!」
女性の先生だったけれど、神戸の学校なのに、標準語で怒られたのは記憶に残っている。

卒業後、30年ぐらい経った人は、どれぐらい、覚えているんだろうなぁ。


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カセットからデジタル化したもの [昔の記憶]

コツコツ続けているカセットのデジタル化。
昨日までで、280ぐらいのAIFFファイルができた。
カセットの片面が30分以下ならば、A面とB面を繋げて1つのファイルに、
40分以上ならば、A面とB面は違うファイルにした結果。

大学時代に流行ったレンタルレコードを録音したものや、
FMからエアチェックしたものが多かったけれど、
千葉県へ旅行した時の新幹線の車内音なんていうのもあった。

FMエアチェックしたものの中には、(AMもあるけど)
・自切俳人のオールナイトニッポンの最終回を録音したもの、
 3月の放送はなぜか、全部録音してあった。
・宵々山コンサート
 これも自切俳人つながりで録音したのかな。
・ナベサダとジャズ19720531と上條恒彦 歌そして友だち19720601
 たぶん、最終回と第1回かな。
・サザンオールスターズ 田園コロシアム サザンがやってくるニャアニャアニャア
 1980年7月20日の日付があった。
・ジェットストリーム
 城達也さんのナレーションが格好良かったなぁ。

一番昔の録音内容は、ディスクジョッキーのまねごとをしているものだった。
1971年頃、小学5年生の頃に作ったもの。
当時、よく聴いていたABCヤングリクエストのテーマ曲を使って、
「は〜い、みなさん、こんばんは。」というな感じで始めていた。
今聴くと、まあ、なんというか、かわいらしい声をしていた。
そら、小学5年生やから、そう表現するしかないわいなぁ。

あと、ABCヤングリクエストのミッドナイト寄席などから録音した落語もあった。
笑福亭仁鶴師匠のもの、今はCDになっているものなど。
桂枝雀師匠が、桂小米時代にしはった日和違いなんてものも。

あと、カセットは100本ぐらい残っている。
今年中になんとか、全部、デジタル化できるかな。


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1970年代のクリーニング屋さん [昔の記憶]

実は、母方の実家がクリーニング屋さんだったりする。
小学5年まで、そこの2階に、うちの一家は住んでいた。

クリーニング屋さんにやってきた洗濯物。
伝票を書いた後、最初に行われるのは、名前付け。
当時は、今みたいに番号をホッチキスで止めるなんてことはせずに、
赤い糸で、名前をカタカナで、縫いつけていた。
カタカナのほうが、直線で形成されている文字が多いから、
糸で名前をつけるのには、容易かったからかな。
集配で集めたものではなく、「持ち込み」のものは、
名前の前に、「モ」と縫いつけてあった。
それから、確か、例えば「ニシハマ」だったら、「ニーハマ」というように、
略されていたような。もちろん、濁点なんかは、省いていたような。

受け付けたものは、ドライものと水洗いものに分けて、バスケに入れて、次の段階へ。
(バスケは、バスケットのこと。私が幼稚園ぐらいの頃は、竹製だったような。
 その後、記憶に残っているのは、青いプラスチック製だった)

次の段階は、ポケット掃除。小銭やライターなんかが、よく入っていたなぁ。
水洗いのものは、今、流行のドラム式の洗濯機で洗っていた。
当然、ボイラーで湧かしたお湯を使って。
もっとも、家庭用のものではないから、直径1m、高さ1.5mの円柱を横にした
ぐらいの大きさのものだった。
小さい頃、かくれんぼしたことがあったような。(^_^)

洗い、すすぎ終わったものは、脱水機へ。
これも、直径1mぐらいで、高さ60センチぐらいのもの。
ブレーキが手動だった。横にレバーがついていて、それを引くと、
ブレーキがかかるようになっていた。

脱水が終われば、物干し場へ持っていって乾かして、最後にアイロン。
確か、アイロン台のことを火熨斗場(ひのしば)と呼んでいたなぁ。
ここにも、小さなボイラーがあって、そのボイラーに水を入れるのを
お手伝いしていた記憶がある。
クリーニング師の免許で、ワイシャツをアイロンだけで仕上げるというのが
あるけれど、私の小さい頃は、ワイシャツ専用のプレス機はなかったから、
みんなアイロンだけで仕上げていたなぁ。

できあがった洗濯物は、透明な袋に入れて、できあがり。

なにしろ、子どもだったから、全行程を知っている訳ではないけれど、
汚れたものが、いっしょくたになって、洗われて、きれいになっていくのは、
見ていて、気持ちが良かった。

母親の実家のクリーニング屋さんは、祖父が主人で、おじさんが手伝い、
見習い職人さんが住み込みで2人、通いの人が時々1人。
そして、昭和45年頃からは、母親もワイシャツのプレス機担当で手伝っていた。
確か、祖父は、後継者を育成したとかで、県から表彰状をもらってたなぁ。

そのクリーニング屋も、阪神大震災で木造の建物が全壊してしまった。
その後、建て替えて、細々とおじさんがやっているけれど、
私の成長にあわせて刻んであった「柱の傷」もなくなったし、なんか寂しいものでありまする。

新しい洗濯機を買って、ふと思い出したことでした。


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小学6年生の時の記憶 学習百科事典 [昔の記憶]

今から四十数年前-4、小学6年生の時、学習百科事典を買ってもらった記憶がある。
小学5年生になって、学習百科事典の訪問販売だったかの人がやってきて、
知識欲に燃えていたと自分では勝手に記憶を変えて?覚えているのだけど、
とにかく、学習百科事典を買ってもらった。
漢和辞典と同様、前ページ読破。

で、今でも記憶しているのが、6年生で社会科で歴史を習っている時、
社会科がある日は、必ず、その学習百科事典の歴史の巻を
学校に持っていっていたこと。
授業中、当てられて、何かの解説のところを読んだ記憶もある。

そして、忘れもしないのが、ガリレオガリレイ。
担任の先生が授業中、「ガリレオガリレイ」と言った途端、
クラス中が笑った。変な名前ということで。
でも、私だけ、笑わなかったような。
で、先生が「今、笑わんかったんは、chikaだけやな。」
学習百科事典を持っていっていて、みんなと違う経験をしたのは
その時だけだったような。
それにしても、重たいのに、よう、持っていっとったわ。

今、考えると、やっぱり、変わった子だったなぁ。


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ザ!鉄腕!DASH! ソーラーカーの旅 [昔の記憶]

7月1日にだん吉が止まった場所、実は27年前、私が免許を取って、
生まれて初めて運転した時の折り返し地点の近くでした。
記憶が正しければ、私が折り返したのは、だん吉が海沿いの道を走ってきて、
海のほうへ曲がろうとした交差点の近くだったような。

中古のHONDA Z(2005-09-11のブログに書いたもの)を20万円で買って、
自動車屋さんから出発。
たぶん、次回のソーラーカーの旅で、最初のほうに映るだろう道を
魚崎から御影方面へ。後ろからダンプカーが走ってきた。怖いなぁ。
で、道路の左端にウィンカーを出して停車。そこでUターンして自宅へ向かった。
運転したのは、片道わずか2キロほど。

そのわずかな距離を走ったのが最初で、
HONDA Zで約23000キロ。次のBLUEBIRDは不明。たぶん1万キロは走ったかな。
そしてCELLICA XXで約57000キロ。で現在のTERRANOで約110000キロ。
たぶん、20万キロは走っているんだろうな。

今回のソーラーカーの旅は、私の車遍歴のスタートを思い出させてくれた内容でした。


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私が買った初めてのカセットテレコ [昔の記憶]

今や、もうなくなりかけている?カセットテープ。
私が、小学生の頃に、世の中に出てきたもの。
それまでは、オープンリール。
スタジオなどは、10インチだけど、庶民には5インチでも高値の華。

で、1970年頃、お小遣いを貯めて買ったのが、アイワのカセットテレコ。
ラジオカセットテープレコーダー。
横幅30センチ、奥行き30センチ、厚さ8センチ程度だったような。
上にスピーカーが、もちろんモノラルで1個。
手前側には、一番右側が、大昔のテレビのチャンネルノブのようなもの。
右へ一段回すと再生、もう一段回すと早送り。
左へ一段回すと巻き戻し。
録音は、その左側についている赤いボタンを押して、再生の位置にする。
ポーズなんてものは、なし。
ラジオの周波数の目盛り?も、手前側の左側に小さな窓があり、
そこから、周波数が書かれた円筒の側面が見えているというような
ものだったような。

う〜ん、写真、どっかにないかなぁ。


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